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インタビュー:本学学生の梶原 哲司さんが全豪ディベート大会で優勝
準備型ディベートだと、約1年間くらいディベートのテーマが変わりません。私が高校生の頃は、「安楽死を合法化すべきか」というテーマがあって、テーマについてたくさんリサーチしてからディベートをするというものです。
それに対して即興型は、ラウンドが始まる15~30分前にテーマが発表されて、そのテーマに関してディベートするという感じです。
AIU:高校と大学ではディベートのやり方が異なるんですね。スタイルの違うディベートでも、共通点はあるのでしょうか?
梶原さん:準備型と即興型の共通点は、テーマに対してどちら側の意見でディベートしたいか自分では決められないことです。なのでどちらの視点からでもディベートできるように心構えをもって挑まなくてはなりません。この点はディベートの大きな特徴かなと思います。
その他の共通点としては、ジャッジ(審判)がいることです。よく多くの方が想像するディベートと私がしているディベートで異なるのは、攻撃的な表現が厳しく制限されているという点です。
ディベートではEquity(公平性)という考え方があり、ディベートの大会ではEquityオフィサー(攻撃的な表現や過度な表現などをチェックする担当者)がいます。攻撃的な表現の他にも、Over Generalization(過度な一般化)なども注意の対象になります。例えば「貧しい人は犯罪を犯す」といった過度な一般化や広域的な表現は、Equityオフィサーから注意され、指導が入ります。
ディベートにはこうしたシステムがあるので、ディベートは「相手を倒そう」というより、本質的には「いかにジャッジを説得できるか」という競技だと思っています。
また、ディベートでは話す時間が決められています。高校のディベートでは話す時間として与えられていたのが4分間でしたが、大学ではさらに長い7~8分間が与えられます。
私が最初にディベートにハマったのは「自分に時間が与えられている」という感覚が心地よかったからです。実は人前で話したり自分の意見を言ったりするのが苦手だったので、「自分のために時間を設けてもらって、その間は自分の意見を伝えられる。その時間が確保されている」というのが、ディベートを好きになった大きなポイントです。
大学での学びがディベートにも活きる
AIU:どのように論理立てをして相手を説得できるかということを競う側面も強いんですね。ディベートはその説得の過程を楽しむような知的な活動であることが分かりました。
AIUでは様々な分野の科目が学べるリベラルアーツ教育が根幹にありますが、AIUでの学びがディベートにつながっていると感じた経験やエピソードはありますか?
梶原さん:AIUで履修した「International Relations(国際関係論)」は印象に残っています。担当教員の竹本 周平先生が国際関係のご専門で、竹本先生の授業を受けられたことは、多角的な思考を意識するきっかけになったと感じています。
高校の頃は、「軍事力って減らしていく方がいいよね」というふわっとした思いしか持っていませんでした。ですが、AIUの国際関係論の授業では「それは本当にそうなのか」、「軍事力を持つことによってお互いが抑止し合って上手く関係を保っていけるのか」、もしくは「お互いが力を持ってしまうと今度はお互いが怖がってしまい、どんどん状況が悪化してしまうのか」といった様々な視点から体系的に考えたり、議論したりする機会がありました。ディベートや他分野の学びにおいても重要な力を鍛えることができたと思います。
AIU:ANUでは哲学の分野の学びに力を入れているそうですね。梶原さんはなぜ哲学の授業に興味を持つようになったのでしょうか?
梶原さん:AIUで哲学の授業を履修したことが、1つの大きなきっかけでした。また、もう1つの大きなきっかけになったのは、哲学を学んで、「リベラルアーツってこういう意味だったんだ」と感じられたことでした。
オーストラリアの留学先で履修した科目が「Philosophy of Biology(生物学の哲学)」とか「Philosophy of Cosmos(宇宙の哲学)」といった、名前だけでは内容を想像できないような科目が多かったのですが、いざ授業を受けてみると、進化論が倫理学の分野に及ぼしている影響とか、相対性理論が時間の哲学の考え方に影響しているといったことを学ぶことができました。哲学は「この分野で発見したことが別の分野でも応用されている」といったことが感じられる学問だなと思います。
遠い昔から学際的な思考や学びを実践していたのが哲学です。1つのトピックに関して意見を述べるといった点で、実はディベートと哲学はすごく似ています。哲学の論文は他の分野の論文とは全然違っていて、まるでディベートのスピーチかのような論文も多いです。単純にディベートが好きだったからこそ、哲学にも興味を持ったのかもしれないですね。
AIU:授業の中でも自分の意見を述べたり、グループで色々な課題を進めたりすることは多いと思いますが、日々の授業のなかでディベートとの共通点を感じることはありますか?
梶原さん:AIUの授業でもディベートでも、誰かが出した意見に関して批判的思考をするという点では共通しています。相手を攻撃しない言い方で、しかも説得力のある言い方を考えるという点は、ディベートも授業中のディスカッションも変わらない部分です。お互いにどのような言い方をすれば建設的な議論ができるのかと考えるスキルは、実践できるようになりました。
AIU:AIUの普段の授業でも、そうした「攻撃的ではなく相手を説得するための言い方」を教えてもらう機会が多いのでしょうか?
梶原さん:先生と一緒にディスカッションをしたり、先生からフィードバックをもらうことで吸収することが多いです。また、特にEAPの授業では「思考の整理の仕方」を教えてもらうことが多かったです。「ブレインストーミングって具体的にどうやればいいのか」とか、「エッセイのドラフトってどういう風に書いていけばいいのか」とか「アイデアは思いつくんだけど整理ができない」という状況になったときに、勉強してきたことが役立ったかなと思います。
日本と海外を経験して感じた、ディベートへの認識の違い
AIU:日本と海外の両方でディベートの経験がある梶原さんの視点から、日本と海外におけるディベートや議論に対する認識の違いがあれば教えてください。
梶原さん:私がこれまで行った国の中で、特にアメリカとオーストラリアではディベートが盛んだったこともあり、海外の方がディベートへのなじみ深さがあるのかなと感じます。なかでもオーストラリアはディベートで有名な国で、小?中?高校の活動のなかで当たり前にディベートがあります。さらに、そうした児童?生徒たちのディベートを、経験のある大学生のディベーターがジャッジとして訪問することも珍しくありません。私自身、今回の交換留学中に小学生や中学生のディベートをジャッジしに行きました。日本と比べてディベート活動に対する資金も用意されています。日本よりも「ディベートとはどういうものか」ということに認識がある人が多いのかなと感じます。